エリシオン 〜春の訪れ〜

闇に閉ざされた死者の国、冥界。
冥王の玉座の前に、月の光りを携えた女神が平伏していた。
「カナエっ!」
閉ざされていた扉が開きそこから軽やかな足取りで、最愛の妻が現れる。
「お久しゅうございます。キョーコ様。」
妻とは対照的に姿勢を崩さない女神。
キョーコがこの地に来てから地上では季節が何度か移り変わっている。
キョーコに謁見を求めてやって来たのは、彼女の長きの友である月の女神だった。
懐かしい友が自分の前に頭を下げたままの姿にキョーコは戸惑っているのが分かる。
「カナエ……。」
己の立場を思い出し、友を呼ぶ声にも力がない。
キョーコの夫たる己は、冥界の王であり、キョーコはその妻……つまりこの世界の女王。
オリンポスの全知全能の神と世界を分け、そのうち一つの世界に君臨する冥王の妻なのだ。
望んだわけでもなく据えられた地位が親友との間にさえ隔てている事に愕然としているのが見て取れた。
「キョーコ。月の女神の立入を許す。彼女をエリシオンへ。」
俺の感情の無い声が謁見の間に響く。
キョーコがまたしても顔を曇らせた。
ここでは、彼女の前であっても、冥王でなければならない。
彼女は俺との間にさえ距離を感じているだろう。
「ありがとうございます。」
自分の立場を思い出し、夫の前に平伏した。
「御前を辞する事をお許し下さいませ。……カナエ、こちらへ。」
後に従う月の女神を連れ彼女は宮殿を後にした。
今日はどうしたら、彼女は俺を許してくれるだろうか?
彼女は俺に微笑みかけてくれるだろうか?
彼女を愛しているという気持ちは変わらずにある事を分かってくれているだろうか。
早く君をこの腕で抱きしめたいと思う。
凍てつく、俺の心に春をもたらす愛しき君を……。



足元を埋め尽くす色とりどりの花々。
ほのかに香る甘い香り。
「何よ、これ。冥界にこんなところが……。」
冥界の最果て地に足を踏み入れた友が目を見開き、驚きをあらわにした。
「レン様が私の為に作って下さったの。ここには亡者達の呻きも届かないわ。」
花咲き乱れる光に溢れた地。
小さな緑の森も、その側には豊かな水を湛えた泉さえあった。
「ここ……見たことがあるわ。一度だけアンタと行った事がある。」
「そうよ。私がレン様と初めてお会いした場所でもあるわ。」
私のお気に入りの場所。
初めて恋を知った場所。
死の国の神とは知らずに愛を交わした場所。
ここはレン様が、私の為に創造した楽園。
この地の名は……。
「ようこそ。我がエリシオンへ。」



白亜の小さな神殿を背後に花の女神が微笑んだ。
キョーコは愛されているのだと思った。
オリンポスにいた時よりもずっと綺麗になった彼女。
その表情はとても幸せそうで、冷酷とされる冥王が彼女を大切にしている事が見て取れる。
促されるまま辿り着いた神殿の前。
入り口には女主人を待ち控えている侍女が一人。
「チオリ、持て成しの用意を。」
「既に調っております。」
「ありがとう。」
神殿の中に入ると小さなテーブルの上には美しく盛られたみずみずしい果実や果実酒が入っていると思われる酒瓶が置かれていた。
「冥王様から直々にお預かりした物で、全て地上で採れた果実です。お飲み物も地上の物。ご安心下さいませ。」
席に着くと侍女が杯に芳醇な香りの果実酒を注ぐ。
「どういう事?」
「冥界でも、僅かだけど果実が実るのよ。このエリシオンにも小さな森があったでしょ。あそこにはたくさんの実を為す果樹があるわ。後でエリシオンを案内するけど、果実を採ってはダメよ。」
「何故?」
「生ある者でも二度と冥界から出る事がかなわなくなるからよ。」
「!!」
「口にしなければいいのよ。生きた者が、この地を踏むこともないのだから。それより頂きましょう。せっかくの果実だわ。」
「アンタは食べたの?」
「……私は、あの人の妻よ。もう、オリンポスに帰るつもりも無いもの。」
「私……アンタがヒドイ目にあっているなら、連れ出すつもりでいたのよ。……もう、無理なのね?」
「無理だわ。それにそんな必要はないもの。」
「そうみたいね。溺愛振りが並じゃないわ。」
「チオリ。今の話しはレン様には内緒よ。」
「承知しております。」
「ありがとう。貴女もお座りなさい。チオリは外には出た事が無いでしょう。一緒に話しを聞くといいわ。」
キョーコは仕えてくれている彼女にも席を薦め、最近のオリンポスや地上での出来事や興味深げに聞き入る。
こんな冥界の奥地では下界で何が起きていても知りようがない。
「トロイヤで戦争が起きているのね。レン様がお忙しいはずだわ。久々にレン様の神殿に行ったのだけど、騒がしかったもの。」
「人間は愚かですね。」
「豊かで、広大な土地が欲しいのよ。神にとっては小さなものでしかなくても彼ら人間には争ってでも欲しいものなの。…オリンポスで、何か代わった事は?」
「あいからずよ。」
本当に相変わらず。
そいえば失恋馬鹿男がいたわね。
「そうね。馬鹿な兄が荒れてるわ。アンタが冥界に来た直後なんて、単身乗り込む気でいたみたいだしね。」
「ショウが?」
「全能神がアンタを冥王に差し出したのは誤算だったみたいね。アンタに言い寄りながら、そっちこっちの女を追いかけ回してるから、こうなるのよ。馬鹿な兄を持ったものだわ。」
本当にめんどくさい兄だと思う。
あんなの男にキョーコを渡すわけにはいかないけどね。
「オリンポスは賑やかなところなのですね。」
「よく言えばそうだけど、正直煩いわ。」
「カナエらしいわね。」
「そういえば、アンタさっきから何を飲んでるの?果実酒…こんなに美味しいのに私しか飲んでいないじゃない。」
さっきから気になっていた。
チオリが、空になる前を見計らって果実酒を継ぎ足してくれるけれど、キョーコの杯はあまりすすんでいない上に、中を満たす液体も酒ではなさそうだった。
「気にしないで。それと、これは果実水よ。」
「お身体に障りますから。」
「?……体調でも崩しているの?」
一瞬不安が過ぎったけれど、フワリとキョーコが微笑む。
「カナエ、耳を貸して。」
「何よ。」
「あのね。………。」
耳元で打ち明けられた事に目を見開いた。
「…って、アンタっ!なんで最初に言わないのよ!!」
「だって、レン様にも、まだお話していないんだもの。だから秘密よ。」
「もーーーーーっ!めんどくさいわねっ!私、何も用意して来なかったわよ!あーーーーっ!とにかくお祝いよ。チオリさん、貴女、本当は飲めるでしょ。付き合いなさい!」
「チオリ、付き合って上げて。」
「では少しだけ。」
キョーコ、アンタ幸せなのね。
ならいいわ。
いつもアンタとは一緒にいたわね。
これから先も一緒よ。
アンタは私の大切な友達なんだから。



――いつもは静かなエリシオンに明るい声が華を添えた。――



もう帰らなきゃいけない。
本当に神なんてめんどくさいわ。
「チオリ、よろしくね。本当は私が送ってあげられたら良かったのだけど。」
「何を言ってるのよ。そんな事したら、次ぎに来た時はアンタの旦那に放り出されるわ。」
「また、来てくれるの?」
「もちろんよ。今度来るアンタの好きなものをたくさん持って来るわ。」
「待っているわ。……母様にも、私は元気だと伝えて。」
「伝えるわ。」
チオリに付き添われ、オリンポスへと帰る私を寂しそうに見送るキョーコ。
また来るんだから、そんな顔をしないでよ。
帰れなくなるじゃない。
今夜が月のない夜だったら良かったのに。
そうだわ、次ぎは月の無い夜にまた来よう。
冥王が何よ!
居座ってやるんだから。



――この夜、月が空に上るのがいつもより遅かったらしい。――



暗闇に光りを燈された小さな神殿。
いつもなら俺を出迎える愛しき妻の姿が無い。
「キョーコ?」
彼女を怒らせてしまったのだろうか。
不安な気持ちのまま神殿の中に入ると妻が嬉しげに笑みを返して出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。」
謁見の間での事を怒っているのかと心配したが、そうではないようだ。
「今日は格別に機嫌が良いな。友の訪問が余程、楽しかったと見える。」
「はい。楽しゅうございました。」
「俺といるよりも?」
「レン様がお帰り下さったので、尚、嬉しいのです。」
愛しい妻。
冥王はオリンポスの神々に彼女との関係を知られ、彼女だけは手放さないつもりでいた。
兄である全能神と戦う事になったとしても、彼女だけは。
だが、全能神は純潔を失った彼女を許さなかった。
何よりも、忌まわしい死の国の王であり、同等の力を秘めた弟が眼前に存在する事を許さなかった。
結果として、俺はキョーコを冥界に連れ帰えることになったのだ。
愛しい妻の為に創造した楽園。
そこで笑顔で出迎えるキョーコが堪らなく愛しい。
「奥に行こうか。」
キョーコを抱き上げて、そのまま奥の間へと歩み出した。
だが、いつもと違う反応を見せるキョーコ。
いつもなら、抱き着いてくれるのに、俺の胸に身体を預けてくれるのに。
「おっ、お待ち下さい。その前にお話しが!」
「寝所でも聞けるぞ。」
「本当に聞いて下さいます?」
「もちろんだ。」
向かった先の寝台にゆっくりと妻を降ろし、その上に覆いかぶさる。
早く君を抱きたかった。
そんな俺に彼女が思いもしない事を言い出した。
「レン様。しばらく、こういう事はお控え頂きたいのですけれど。」
今、彼女は何と言った?
「………。」
こういう事は控える?
それはつまり……。
「レン様?」
「どうして?」
「あの、ですから、そのお話しを……。」
「俺が嫌いになった?」
「えっ?」
「神殿で冷たくしたから?」
「あのレン様?」
「キョーコ。君を愛している。」
「それは私も同じですけれど。」
「キョーコ。」
「レン様!どこを触っておいでですかっ!」
「キョーコ。何が問題なんだ。どうして俺を遠ざける。」
俺が醸し出す険呑な空気が寝所を満たし、キョーコを抑えつける腕にも力が篭る。
そんな緊迫した空気をぶち破るトーンの高い若い女の声。
「それは、母体と御子に障るからでございます。」
「「えっ!?」」
「冥王様。キョーコ様のお身体が落ち着かれまで、お控え下さいませ。」
「「………。」」
「キョーコ様、カナエ様はご無事に戻られました。ご安心下さい。それでは私は、これで失礼いたします。ごゆるりとおくつろぎを……。」
戸口に姿を現したチオリ。
顔色一つ変える事なく、言うだけ言って、いつものように室外へと消えた。
「……………。」
「……………今のは本当か?」
「はい。」
「そうか。すまない。乱暴な真似をした。」
キョーコが再び笑みを見せた。
その夜は、穏やかな気持ちで眠りに就いた。
愛する妻を腕に抱いて。



キョーコ、君は凍てついていた俺の心を解かす春そのもの。
冬の終わりを告げるもの。








かなり気の早い春の訪れ。
そして正月にはあまり相応しくないこのシリーズ。
すいません。

エリシオンはいつも春なんだろうな。

いつか、蓮とキョコたんか春の陽射しみたいに柔らかく微笑み合うラブラブな姿が見たいです。



月華でした。



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